岡村 昭彦 OKAMURA Akihiko
(新宿) (壁)
佐藤 元洋
東京都写真美術館
(新宿) (マネキン)
家
春はやみ
(新宿) (夜の公園)
Camera リストマティック
作家不詳
(歩く少女)
岡村 昭彦
ビアフラから、救援活動の最大の基地になっているサントメ島の病院に急送される重体の子どもたち。20トン積みの大型米軍機のC97型輸送機に折り重なるように並べられている
ベトナムに派遣される予定の米特殊部隊の訓練。ポンチョで川辺の草を包んで作った浮袋につかまって川を進むと、「ベトコン」役のアメリカ兵が岸辺を転げ落ちてきた
タンソンニャット空港(サイゴン)の貴賓室でインタビューにこたえるロバート・マクナマラ米国防長官(中央)とヘンリー・カボット・ロッジJr.駐南ベトナム米大使(右)
Vietnam 国道9号線をホーチミン・ルートの要衝セポンに向かっていた南ベトナム政府軍の装甲車部隊は、25キロ進んだ地点で地雷を踏んで爆発した。衝撃で装甲車からたたき落とされた兵士
解放戦線の直接取材などによって危険人物とされた岡村は、南ベトナム政府から5年間の入国禁止処分を受けた。処分がとけたのち、1971年に南ベトナム政府軍によるラオス侵攻作戦の地上からの従軍取材を試みる。枯葉剤の散布により裸になったジャングルを進み、ベトナムからラオスへ入っていく。中央は、弾薬を空輸する大型ヘリ
Vietnam ヴェトナム中部の山岳民族兵。米国製の制服、銃を持つことによって民族意識が芽生え、解放民族戦線に加わる可能性がでてきた
山間地ハラバコアの日本人コロニアに住む日本人移住者の家族。日本からのドミニカ移民はトルヒーヨ体制の1950年代に始められたが、最大18ヘクタールの優良農地を無償譲渡するなどとした日本政府の募集要項は守られず、日系移民は地元民との軋轢を抱えていた。2006年になって日本は正式に謝罪している
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