宮武 東洋 MIYATAKE Toyo
Evidence NAGASAKI―爆心1km 奇跡的に無傷の聖観音菩薩像
松村 明
東京都写真美術館
ありふれた長崎 原爆投下中心地碑
南翼廊から臨む身廊・ソールズベリー大聖堂・イギリス
フェントン, ロジャー
窓外
甫木元 空
Flesh Love Returns #20 Jon & Evelyne
フォトグラファー ハル
Flesh Love #12 Mihaya & Takao
雑乱 #19 Kamio & Naoko
ありふれた長崎 被爆の痕跡が遺るタイサンボク
マンザナー収容所 鉄条網の彼方の自由に思いを馳せる3人の少年。見張り塔が後ろに見える。少年たちは左から、ノリト・タカモト、マサイチ・イマムラ、ヒサシ・サンスイ。
宮武 東洋
マンザナー収容所 早朝撮影したずらっと並んだバラック小屋。
マンザナー収容所 夕焼けの中、三輪車に乗って遊ぶ宮武東洋の子供ふたり。
マンザナー収容所 収容所入口の看板。マンザナー戦時転住所。
マンザナー収容所 収容所用地を囲む境界線の看板の前に立つ保全班。かれらの仕事は境界線周辺の整備と柵や建物の修理であった。
マンザナー収容所 収容所の生活は楽ではなかった。美容院で髪を洗ってもらうことは、女性にとってよい気分転換だった。洗髪は1ドル、パーマは2ドル、美容師の月給は16~19ドルだった。
マンザナー収容所 バトントワラーになるのを夢見て練習する子供たち。収容所の中であっても出来るかぎり、こどもたちには普通の生活をおくらせる配慮がなされた。
マンザナー収容所 マンザナーコープ(共同事業)社の共同事業のひとつに魚屋があった。アメリカ政府支給の魚は日本人の口に合わず、開戦まで漁業に従事していたイツ・ヤマモト氏が週に2回入手して魚屋をひらいた。左から4人目がヤマモト氏。
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