左端に富士山、右端に筑波山を描き、両山を従えるようにススキが一面に広がる構図で、武蔵野の原風景を表したものという。
台地の上に位置する武蔵野は、水の便が悪い地域で開発の手が入らなかったが、その姿を大きく変えたのは、第8代将軍徳川吉宗が享保の改革の一環として行った新田開発だった。開発着手からわずか15年で、武蔵野に80余りの村が生まれ、1000軒以上の家が建ち並んだ。この屏風は、開発される以前の武蔵野の風景を見せてくれる。
- 所蔵館
- 江戸東京博物館
- 資料名
- 武蔵野図屏風
- 資料番号
- 87201313-87201314
- 大分類
- 絵画
- 小分類
- 日本画
- 種別
- 屏風
- 年代
- 江戸中期 18世紀
- 員数
- 6曲1双
- 江戸博デジタルアーカイブズ
- https://www.edohakuarchives.jp/detail-2674.html