岡村 昭彦 OKAMURA Akihiko
新宿ウラナシ師(昭和50年)
ハナヤ 勘兵衛
東京都写真美術館
図書資料
作家不詳
(新宿) (白い矩形)
佐藤 元洋
(12年目の6・15) (デモ)
パネル A
天野 龍一
ミラージュ A
(新宿) (木)
飢餓に加えて結核とマラリア熱に襲われた子ども。看護婦は頭の静脈に食塩注射をしたが、子どもの命はよみがえらなかった。飢餓状態においては飢えそのものよりも、関連する病気によって死ぬ人が多い
岡村 昭彦
ドン・バン・ミン軍事政権も1964年1月のクーデターによって倒れ、軍事革命委員会議長に就任したグエン・カーン。2月には首相、8月には大統領に就任した
訓練中のIRA(アイルランド共和軍)の兵士たち。北アイルランドないしアイルランド共和国のいずれかで撮影されたものだが、当時、岡村にはこれを発表する意思がなかった
南ベトナム解放民族戦線の中央委員会との接触を試みた岡村は、「Dゾーン」(サイゴン北方にある解放戦線が支配する危険区域)のジャングルで捕らわれて53日間の捕虜生活を送ったが、43日目に解放戦線副議長フィン・タン・ファットとの会見取材に成功した。ファットは1969年に臨時革命政府の首相となる
太平洋戦争終結直後、味方によって置き去りにされインドシナに残された元日本兵の柿沢健十はラオスで抗仏戦に参加したが、フランス軍による激しい拷問により記憶を失った。ラオスのサバナケットにたどり着いたが、言葉を話せず日本人であることもすっかり忘れていた。支援者の運動によって1977年3月、帰国を果たす
国道9号線をホーチミン・ルートの要衝セポンに向かっていた南ベトナム政府軍の装甲車部隊は、25キロ進んだ地点で地雷を踏んで爆発した。衝撃で装甲車からたたき落とされた兵士
1965年3月30日午前10時50分(現地時間)、アメリカ大使館の脇につけられた車が爆発した。ベトナム人10名以上、アメリカ人2名ほかが死亡し、180名以上が負傷した
日本赤十字社の医療団による手術
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