岡村 昭彦 OKAMURA Akihiko
(新宿) (木)
佐藤 元洋
東京都写真美術館
家
(新宿) (歩行者用信号機)
新宿ウラナシ師(昭和50年)
ハナヤ 勘兵衛
(新宿) (車)
(12年目の6・15) (横断幕)
ひるのプレゼント
日本放送協会
デザインの街
天野 龍一
Vietnam 南ヴェトナム政府軍によるラオス侵攻作戦。ラオス国境から25キロほど進んだ地点で、装甲車部隊は地雷原に触れて大音響とともに爆発した。その瞬間装甲車からたたき落とされた兵士が、手榴弾銃を右手に膝をつき、さらに左奥では負傷した兵士たちが抱き合っていた。-この連続写真の1枚が『LIFE』1971年3月12日号の表紙となった
岡村 昭彦
太平洋戦争終結直後、味方によって置き去りにされインドシナに残された元日本兵の柿沢健十はラオスで抗仏戦に参加したが、フランス軍による激しい拷問により記憶を失った。ラオスのサバナケットにたどり着いたが、言葉を話せず日本人であることもすっかり忘れていた。支援者の運動によって1977年3月、帰国を果たす
革命軍の反米ポスター(壁画)。ペンと紙を持つ人を銃剣で突き刺している絵柄には、クーデターによって停止させられた憲法の復活を願う意図が込められているのだろうか
ドン・バン・ミン軍事政権下でも仏教徒は弾圧された。デモを弾圧しようとする兵士を制止する僧侶
ゴビエ町のシェルターから街道をはずれて22キロ進んだ山深いウォルケイ地区では、飢餓のために人が死に絶え、廃屋が風に鳴っていた
ホノルルのダウンタウンを流れるヌウアヌ川のほとりで
李承晩ラインの周辺では、日本漁船と韓国漁船との衝突が絶えなかった。岡村は船主を説き伏せて韓国漁船に乗り込み、李ラインの韓国側からの取材を試みた
本ウェブサイト(以下「本サイト」といいます)では、お客様の本サイトの利用の向上、本サイトの利用状況の把握等の目的で、クッキーを使用します。「全てのクッキーを許可する」ボタンをクリックすることで、上記の目的のためにクッキーを使用すること、また皆様のデータを提携先や委託先と共有することに同意いただいたものとみなします。同意の取り消し方法を含めたより詳しい情報は、「クッキーポリシー」をご覧ください。※その他個人情報の取り扱いについては、東京歴史文化財団プライバシーポリシーをご参照ください。