
おそらく「ヴェリト」などのソフト・フォーカス・レンズを使って撮影されたと思われる。レンズ特有のフレアを活かしてストレートの引伸ばされたプリントには、さわやかな五月の光と空気感が「アトモスフィアー」として詩的に表現され、観る者をロマンティックな世界に導いてくれる。「気分や情緒の表現」を芸術作品の基本とする作者の主張がうががえる作品である。
- 所蔵館
- 東京都写真美術館
- 作品/資料名
- 五月の郊外
- 作品名(原題)
- 五月の郊外
- 作者名
- 淵上 白陽
- 分類
- 国内写真作品
- 寸法
- 縦222×横299mm
- 作品/資料番号
- 10014347
- 東京都写真美術館 収蔵品検索
- https://collection.topmuseum.jp/Publish/detailPage/17457
作者について
淵上白陽 / FUCHIKAMI Hakuyō
from Art Platform Japan: https://artplatform.go.jp/resources/collections/artists/A1864
- 生年月日
- 1889-11-14
- 生地
- 熊本県
- 没年月日
- 1960/2/8
- 活動領域
- 写真
- 性別
- 男性
Wikipedia
淵上 白陽(ふちかみ はくよう、1889年(明治22年)11月14日 - 1960年(昭和35年)2月8日)は、写真家。一般に、日本の近代写真(新興写真)は淵上作品から始まる。熊本県生まれ。佐賀や長崎で写真を学ぶ。1922年には写真雑誌『白陽』創刊(1926年まで)し、「日本光画芸術協会」結成(1928年まで)。のち、山本牧彦の「日本光画協会」が継承した。1928年には渡満し、満鉄情報課嘱託となる。1933年には『満洲グラフ』創刊(1944年まで)。『満洲グラフ』については、その初期において、淵上が実質的な編集責任者であった。1932年には「満洲写真作家協会」結成、1937年には機関誌『光る丘』創刊(1939年まで)。1941年に離満。戦後も日本で活動を続けた。作風は、ピクトリアリスムを基調としながら、キュビスムや未来派の影響を受けた構成派の作品(1920年代半ば)、さらには、ストレートフォトグラフィ(特に、満洲にて)も残している。写真制作のみならず、むしろ、写真クラブの活動や雑誌の編集・発行に力を入れた。写真の普及に努めたその一生は、そのほとんどを写真に捧げたといってよい。
Identifiers
- APJ ID
- A1864
- VIAF ID
- 31888590
- AKL ID
- 42240575
- NDL ID
- 00015152
- Wikidata ID
- Q5640676
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