
1868年(慶応4年)7月、江戸を東京と定める天皇の詔書が出された。9月には明治と改元され、天皇は在位している間は年号を変えないという一世一元の制も定められた。西の京都から東の江戸へ行幸する「東幸」が行われ、およそ3300人の従者と共に東京に入り、徳川幕府の中枢であった江戸城は、新たに東京城と改称された。
この年の12月、明治天皇は従者およそ2000人と共に、東京から京都へ「還幸」した。翌年の3月、再び京都から東京に東幸することになり、行政機関たる太政官も移され、天皇の居所としての意味も込めて東京城から皇城と改められた。この「再幸」を描いたのがここで紹介した錦絵だ。鳳凰を屋根に頂く、ひときわ大きな輿に天皇が乗っていることは容易に想像できる。沿道には再幸した天皇を見ようと、多くの東京府民が詰めかけている様子も描かれている。
東京に再幸した天皇は東京に居所を構え、これ以降京都へ還幸することはなかった。この時をもって実質的な遷都とみなされている。実質的と書いたが、実はこの東京への遷都について、天皇の詔や布告・布達といった法令が公的には発布されておらず、明治政府から公に声明が出されることもなかった。都を他の地に移す「遷都」という言葉は使われず、都を定めるという意味で「奠都(てんと)」と表現された。遷都に対する政府内の保守派や京都の住民への配慮が働いたともいわれている。
- 所蔵館
- 江戸東京博物館
- 資料名
- 東京府御東幸行烈図
- 資料番号
- 91200170-91200172
- 種別
- 錦絵
- 作者(文書は差出人)
- 歌川芳虎/画
- 発行所(文書は宛先)
- 加賀吉/版
- 年代
- 明治初期 明治2年巳3月 1869 19世紀
- 員数
- 3枚続
- 江戸博デジタルアーカイブズ
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