
亜鈴(アレイ)というと、今では鉄のものや水を入れて使用するものが一般的だが、明治時代は写真のような木製のものが広く使用された。亜鈴は、明治になって欧米の体育教育の器具として入ってきたものだった。
維新後、国家や社会のあらゆる面で新制度が採用されたが、教育においても欧米の知識の移入が盛んに行われた。その結果、知識の吸収を偏重するばかりが盛んになっている、と文部省では問題視し、体育の必要性が唱えられた。
しかし、どのような体操を採用するかは決まっておらず、明治9年(1876年)に米国を視察した田中不二麿(たなか ふじまろ)・文部大輔により招かれたリーランドが、明治11年に体操伝習所で指導するようになり、はじめて「軽体操」が採用された。陸上競技などの「重体操」に対して、「軽体操」は、健全な生活を送れる身体の育成を目的とした簡易な器具を使用する体操で、そこで使われたのが木製亜鈴だった。
木製亜鈴を使った体操を亜鈴体操と言った。この体操は二個の亜鈴をそれぞれ両手にもち、前や左右に伸ばしたり、回したりするものだったので、運動場がなかったり、狭かったりした当時の学校では具合のよいものであった。
- 所蔵館
- 江戸東京博物館
- 資料名
- 木製亜鈴
- 資料番号
- 90207568-90207569
- 大分類
- 生活民俗
- 小分類
- 社会生活
- 種別
- 教育
- 年代
- 明治期 19世紀
- 員数
- 1対
- 法量
- 21.0cm x 5.8cm
- 江戸博デジタルアーカイブズ
- https://www.edohakuarchives.jp/detail-5017.html
江戸東京博物館のその他の収蔵品 (159766)

水災証明書
東京都葛飾区長 高橋佐久松
江戸東京博物館

朝野新聞 第2325号
江戸東京博物館

手術道具 探索子
江戸東京博物館

トンボ玉
江戸東京博物館

歌舞伎座 昭和28年2月興行パンフレット 恋女房染分手綱 「三人片輪」 天衣紛上野初花 壇浦兜軍記 六歌仙容彩 番町皿屋敷 ぢいさんばあさん 菅原伝授手習鑑 羽根の禿 うかれ坊主
江戸東京博物館

時局日誌 NO.52
江戸東京博物館

袋 新撰別製東京名所図絵
島鮮堂
江戸東京博物館

うの花の山べなるままに君ともどる道
河東碧梧桐
江戸東京博物館

東都名所 浅草寺境内筋違御門内図 浅草寺
江戸東京博物館

歌舞伎座 昭和46年6月 公演筋書 六月特別公演
江戸東京博物館

(京都名所)槙ノ尾
江戸東京博物館

(乍恐以書附奉願上候)他
江戸東京博物館

西多摩郡草花村地価地租書上(武蔵・多摩郡平沢村内田家文書)
江戸東京博物館

五代目中村児太郎 3
伊藤則美/撮影
江戸東京博物館

浅草公園池畔万盛庵其三庭園離座敷
江戸東京博物館

絵画叢誌 第122巻
江戸東京博物館